【訃報】“メイショウ”松本好雄さん死去 武豊らが慕った名馬主の功績とは

【訃報】“メイショウ”松本好雄オーナー死去 個人馬主初のJRA2000勝達成からわずか6日後

メイショウ”の冠名で知られる馬主・松本好雄さんが、8月29日未明に膵臓がんのため亡くなりました。

87歳でした。

わずか1週間前の8月23日には、所有馬メイショウハッケイの勝利でJRA通算2000勝を達成。

個人馬主としては史上初の快挙で、競馬界を沸かせたばかりの訃報に、多くのファンや関係者から驚きと悲しみの声が広がっています。

この記事では、松本好雄さんのこれまでの経歴や“メイショウ軍団”の名馬たち、2000勝という偉業、さらに人柄やネット上の反応までを分かりやすくまとめてお伝えします。

目次

松本好雄さんの経歴と“メイショウ”の由来

松本好雄さんは、兵庫県明石市出身の実業家であり、長年にわたって日本競馬を支えてきた名物オーナーです。

本業は大型機械部品メーカー「株式会社きしろ」の代表取締役会長

船舶エンジンや航空機部品など幅広い事業を展開する会社を率いながら、1974年に馬主資格を取得しました。

初勝利は1976年1月10日。

所有馬メイショウグリーンが勝ち星を挙げたのが始まりです。

そこから半世紀近く、数え切れないほどの“メイショウ”軍団を競馬場に送り出してきました。

冠名“メイショウ”には、次のような意味が込められています。

  • 「明石の松本」 …出身地・兵庫県明石市と自身の名字を掛け合わせた意味。
  • 「名将」 …強い馬を育て、数々の勝利を収めたいという願い。

この二つを重ね合わせ、“メイショウ”という冠名が誕生しました。

競馬ファンにとっては、新聞の出馬表に「メイショウ」の名前を見つけるだけでワクワクするほど、馴染み深い存在になっています。

さらに、松本さんは2005年には日本馬主協会連合会の会長にも就任。

現在は名誉会長を務め、業界全体の発展に力を注いできました。

受章歴もあり、2007年に紺綬褒章、2010年には旭日小綬章を授与されています。

まさに「実業家として成功しつつ、日本競馬界にも多大な功績を残した人物」と言えるでしょう。


管理人

「メイショウ」の名前って、競馬ファンなら誰でも知ってるくらい親しみのある存在ですよね。由来を改めて知ると、オーナーの地元愛と競馬への情熱が伝わってきて胸が熱くなります。

偉業:個人馬主として初のJRA通算2000勝

松本好雄さんの名を日本競馬史に深く刻んだのが、2025年8月23日に達成された「JRA通算2000勝」です。

中京競馬場3R、2歳牝馬メイショウハッケイが勝利した瞬間、個人馬主として初めての大記録が誕生しました。

競馬の世界では、社台グループなど大規模な法人馬主が多くの勝ち星を積み重ねています。

そんな中で、一人の個人馬主が2000勝という数字に到達するのは前人未到の快挙。

松本さんが長年にわたり所有馬を出走させ続け、厩舎・騎手・牧場とのつながりを大切にした結果の証でもあります。

JRAを通じて発表された松本さんのコメントも印象的でした。

  • 「馬主として51年、成り行きのように始めた」
  • 「社員に迷惑をかけないようにと考えていた」
  • 「2000勝という数字は“ばか”でないとできない」
  • 「生産牧場や調教師、厩舎スタッフ、騎手とのつながりを大事にしてきた」

この言葉からも分かるように、松本さんは偉業を“自分ひとりの成果”ではなく、“人とのつながりが生んだ結果”と受け止めていました。

それはまさに彼の人柄そのものを映し出していると言えるでしょう。

しかも、この2000勝は訃報のわずか6日前に成し遂げられたものでした。

長い闘病生活の中で最後に残した輝かしい足跡は、関係者やファンにとって忘れられない出来事となりました。


管理人

2000勝をわずか1週間前に達成していたのは、まるで競馬の神様が最後のご褒美を用意したように思えてなりません。人とのつながりを大切にした結果が数字に結実したんだと感じます。

代表馬と数々の名勝負

松本好雄さんといえば、“メイショウ”の冠名で数々の名馬を送り出してきたことで知られています。

GⅠ勝利を飾った馬だけでも、競馬史に残る名勝負を演じた名馬ばかりです。

代表的な馬を挙げると――

  • メイショウドトウ:2001年の宝塚記念を制覇。あのテイエムオペラオーのライバルとして、何度も熱い戦いを繰り広げた。
  • メイショウボーラー:2005年フェブラリーSでGⅠ制覇。スピードを武器にダート界で活躍。
  • メイショウサムソン:2006年皐月賞・日本ダービーの二冠馬。翌年は天皇賞(春・秋)を連覇し、松本さんの馬主人生を象徴する存在となった。
  • メイショウマンボ:2013年のオークス、秋華賞、エリザベス女王杯を制した牝馬三冠級の活躍馬。武幸四郎騎手とのコンビも話題に。
  • メイショウダッサイ:障害界を代表する名馬。2020年中山大障害、2021年中山グランドJを制覇し、多くのファンを沸かせた。

さらに、GⅠ以外でも競馬ファンに愛された馬は数多くいます。

  • メイショウカイドウ:小倉記念を3連覇し、“小倉の英雄”と呼ばれた。
  • メイショウベルーガ:牝馬ながら重賞を制し、長距離戦でも奮闘。
  • メイショウバトラー:芝・ダート両方で重賞勝ち。10歳まで現役を続け、タフさでファンを魅了した。

直近では、2024年の宝塚記念を制した メイショウタバル が記憶に新しいでしょう。

さらにダート界で活躍する メイショウハリオ も、交流GⅠを4勝して松本さんの名前を輝かせ続けています。

松本さんの馬は「強いだけじゃなく個性豊か」という点もファンに愛されてきました。

勝っても負けても“メイショウ”の馬が走れば、そこにドラマが生まれる――そんな存在感を持っていたのです。


管理人

メイショウ軍団の馬って、本当にキャラが立ってましたよね。強さだけじゃなく、「小倉の英雄」とか「晩年まで走るタフネス馬」とか、語りたくなる魅力が詰まっていて、競馬ファンの心をがっちり掴んでいたと思います。

人柄と関係者からのエピソード

松本好雄さんは、ただ数多くの名馬を所有しただけではなく、その人柄と信念で競馬界の人々に慕われてきました。

ここでは、印象的なエピソードをいくつか紹介します。


■ 騎手選びに「口を出さない」主義

松本オーナーは、騎手の選択について「私は一切、口を挟みません」と語っていました。

調教師から「この馬、誰を乗せますか」と聞かれても、外国人騎手の名前を出すことはなく、99%以上の勝利を日本人騎手で挙げてきたのです。

  • 外国人騎手の実力を認めつつも、普段から調教を手伝い、厩舎の人に可愛がられている日本人騎手に任せたい。
  • 「反発しているわけでも何でもない」と話し、信頼関係を重視していた。

その姿勢は、単なるオーナーの采配ではなく、「馬と人とのつながりを大切にする」という座右の銘を体現していたと言えます。


■ メイショウマンボと武幸四郎騎手のドラマ

2013年、武幸四郎騎手が手掛けたメイショウマンボの物語は、松本オーナーの懐の深さを象徴する出来事でした。

桜花賞では大外を回らされ10着に敗退し、直後には「何をやっているんだ」と怒りも覚えたそうです。

しかし、帰り道で武幸四郎騎手から「オークスに出してくれませんか」と直談判を受けると、200万円の追加登録料を支払って出走を決断。

結果――オークスでGⅠ初制覇。

その後も秋華賞、エリザベス女王杯を制し、三冠級の活躍を見せました。

松本さんは「幸四郎が育てた馬だから、彼に乗せ続ける以外なかった」と振り返っています。

ここには、若き騎手を信じ続ける親心のような温かさがにじんでいます。


■ 「カネは出すが口は出さない」オーナー像

日本競馬では、大レースになると外国人騎手への乗り替わりや、オーナーの意向が色濃く反映されることが珍しくありません。

しかし松本オーナーは「調教師はあなたでしょう。しっかりしなさい」と言い切り、レース選択も基本的に調教師に任せていました。

これは、現場を尊重する数少ない“大尽オーナー”としての姿勢でした。


■ 浦河の牧場を支えた「ひいき筋」

松本オーナーが所有する馬の多くは、社台グループではなく北海道・浦河の中小牧場で生まれた馬たちです。

彼にとって浦河は特別な地であり、GⅠの前には必ず杵臼神社(通称GⅠ神社)を参拝してから競馬場に向かったといいます。

松本オーナーがいなかったら浦河の牧場の多くはとっくにつぶれていた

そんな声が現地で上がるほど、深く地域に根ざした存在でした。

“馬を買う”という経済的な支援にとどまらず、人との絆を大切にしてきたことがよく分かります。


■ 武豊や石橋守との深い縁

松本オーナーは、武豊騎手がケガで騎乗数が減った時期にも「豊を腐らせてはいけない」と騎乗を依頼し続けました。

また、メイショウサムソンでクラシック二冠を制した石橋守騎手が調教師になってからは、宝塚記念をメイショウタバルで制覇。

オーナー、騎手、調教師の信頼関係が、時代を超えて名勝負を生み出してきたのです。


管理人

エピソードを知れば知るほど、松本オーナーの「人を信じる力」がすごいなと感じます。騎手や牧場、調教師に任せる姿勢があったからこそ、数々のドラマが生まれたんだと思います。

ネットやファンの声

松本好雄オーナーの訃報は、競馬ファンや関係者に大きな衝撃を与えました。ニュースが流れると、SNSやコメント欄には感謝や追悼の声が相次ぎました。


■ 「急な訃報にショック」

  • 「宝塚記念の時は元気そうに見えたから本当に驚いた」
  • 「2000勝達成からわずか数日後なんて信じられない」

直前まで所有馬が大舞台で活躍していただけに、多くのファンが急な別れに戸惑いを隠せませんでした。


■ 「メイショウの名を残してほしい」

  • 「ご家族が冠名を引き継いで、これからも“メイショウ軍団”を見たい」
  • 「勝負服と名前は競馬界に残してほしい」

松本オーナーの家族がすでに馬主として活動しており、「メイショウ」の名が今後も続いていくことへの期待も寄せられています。


■ 武豊や若手騎手への支えに感謝

  • 「武豊騎手がケガで苦しい時期も松本オーナーだけは乗せ続けた」
  • 「騎手や牧場関係者にとって、本当に救いの存在だった」

ファンの間では、競馬界の裏側で人を支え続けた姿勢に感謝する声が多く見られました。


■ 「浦河の牧場を救った功績」

  • 「小さな牧場を支えてきた功績は計り知れない」
  • 「浦河にとって神様のような存在だった」

大手生産者に頼らず日高の牧場と歩んできた姿勢は、多くの関係者からも尊敬を集めています。


■ 「2000勝が最後の餞」

  • 「まるで競馬の神様が最後のご褒美をくれたよう」
  • 「2000勝達成が松本オーナーの旅立ちを見送る花道になった」

多くのファンが、偉業達成と訃報がわずか数日差だったことに「運命」を感じていました。


管理人

ファンのコメントを見ていると、本当に“悪く言う人がいない馬主”だったんだなと感じます。愛馬だけでなく、人を大切にしてきたからこそ、これだけ多くの人に惜しまれているんだと思います。

まとめ

“メイショウ”の冠名で長年ファンに親しまれてきた松本好雄オーナーが、8月29日に87歳でこの世を去りました。

そのわずか6日前には、個人馬主として史上初となるJRA通算2000勝を達成。

まさに競馬史に残る大記録を打ち立てた直後の訃報でした。

  • 1974年に馬主資格を取得し、初勝利は1976年のメイショウグリーン。
  • メイショウサムソン、メイショウマンボ、メイショウドトウ、メイショウタバルなど、多くの名馬を世に送り出した。
  • 騎手や調教師に口を出さず信頼して任せる姿勢を貫き、浦河の牧場を支える存在でもあった。
  • 武豊や武幸四郎ら多くの騎手・調教師とのエピソードは、オーナーの人柄を象徴するものだった。

ネットやファンからは「2000勝が最後の餞」「メイショウの名を残してほしい」といった声が数多く寄せられています。

それだけ松本オーナーが日本競馬に果たした役割は大きく、関係者にもファンにも深く愛された証でしょう。

これからはご家族が“メイショウ”の名を受け継ぎ、馬たちがターフを駆け続けてくれるはずです。

心よりご冥福をお祈りいたします。


管理人

こうして振り返ると、数字以上に「人との絆」を大切にしてきた方だったと感じます。2000勝は奇跡じゃなく、人に寄り添い続けた結果なんだなと胸に響きました。

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